英語を学ぶことのメリット
わたしは英語を話せるほうだが(NYの大学で歴史学を専攻)、誰もが英語を話せるようになったほうがいい、とは思わない。ただ、話せるようになったときのメリット=世界がいかに拡がっていくのかは、誰もが知っておくといいなとは思う。
英語が話せるようになったことで、どんなメリットがあるか?少し考えてみてほしい。どのくらい思いつくだろうか?
学校で外国語を教えるときも、すべてのメリットを伝えた上で「あなたは第二外国語を学びますか?学びたかったらどうぞ〜」という選択肢を与えるのがベストだと思う。
最近では日本も多言語圏のヨーロッパにならい、「英語習得によってなにが可能になるか」を考えさせるような取り組みが進んでいるらしいが、アラサーのわたしの世代まではけっこう残念な英語教育のイメージが強烈だ。
突然始まる英語の授業。日常生活で使うわけでもないのに、なんで英語勉強せないかんのじゃ、と思った人も少なくないと思う。「やりたくないことやらなきゃいけない→勉強つまんない→成績よくない→英語苦手→I can't speak Englishを自信もって言えちゃう日本人」のサイクルが出来上がる(これを言い出せばすべての教科において同じことが言えてしまうのだけど笑)。
みなさんはどうだっただろうか。
「英語を学ぶことのメリット」とググってみると、いろんなメリットが挙げられていた。ビジネスや留学で必要、交友関係が増える、旅が何倍も楽しめる、などが王道だが、特に多かったのは「得られる情報の量」が劇的に変化することだ。
これはわたしも大きく頷くポイントであり、案外思いつかない点でもあるらしい、と最近気付いた。
ネット上にある情報のうちに、日本語で書かれたものは3〜5%程度。一方、英語の場合だと55%〜80%というデータもある。ちなみに以下の参考記事に挙げられていたメリットは5つ。
⑴得られる情報の幅が劇的に広がる
⑵仕事で頼られることが増える
⑶友達が増えて交流関係が広がる
⑷洋画を字幕なしで観て泣ける
⑸自信がつく
実際わたしも何かを検索するときには、日本語と英語の両方で情報収集することも少なくない。英語だと同じワードであってもヒット件数は驚くほど違う。ぜひ同じ意味の単語を、日本語と英語でググってそのヒット件数を比較してみてほしい。
わたしの脳内での「日本語の情報」のイメージは、大きな海(この大半が英語の海)の中の、すみっこの小島くらいの割合なので、基本あてにしていない。
さらにこのネットでの言語という視点でみた場合、ビジネス的なメリットや独自性、創造性、そしてなにより、情報の量だけでなく情報の質というのは、切っても切り離せない。
「日本語のWebサイトの質は、英語のWebサイトに比べて全体的に低質だ。また、多様性を欠いており、似たようなサイトばかりだ。なぜなら、日本のWeb市場には「日本語」という、海外からの参入をほぼ全て断ち切る強力なフィルターがあり、競争がそれほど激しくないからだ。」
海外から入ってくる情報には基本フィルターがかかっている。そしてフィルターを通過する際にはタイムラグが発生するため、日本は東京といえど世界に比べて情報が遅れているのが常だ。
これを知らずして自分の得る情報がすべてだと思い込んでしまうと、極端に狭い世界に自分の身を置くことになってしまう。ネット上の4%の世界だ。英語と比較すれば、それはあまりにも狭い。
これはなにもネット上の話だけではなく、常に起きている現象だと言えてしまうのが怖いところ。自分が育った環境、住む場所、出会ってきた人、あたかもそれらがすべての情報源のように思い、その中からさらに限定的な情報を拾い上げ、「自分」という存在や価値観を形作っていくのが人間だ。
ネット空間も意識空間も物質空間もまったく同じで、海はどこまでも広がっているが、人間の脳は無限を認識できない。そうやって自分の可能性を限定して生きていく。見方によってはかなり不自由な生き方になる。
英語を通してわたしが伝えたいのは、この「可能性」のことなのかも知れないと、ここまで書いてみて思う。たくさんの人に知っておいてほしいこと。それは、自分を形成する情報がすべてではないということ。本来のあなたは、どんな存在にもなれるということ。
日本語の海で生きてきた自分から一歩距離をおいて、英語という言語を通して、新しい世界、新しい自分を開拓していく面白さを体験してほしい。アイデンティティが変化してしまう、その革命的な変化に出会ってほしい。
ということで、他にはなさそうな「英語習得×自分変革」のプログラムを考案中!徐々に詳細をシェアしていきたい。
誰もが自分の宇宙の革命家になる世界に。
Reborn to be a revolutionary!