New Start
久しぶりの投稿です!
ユニバーサルリーダーシップを育てる三ヶ月の研修が終わりました。写真は研修中に企画した200人規模のイベントの懇親会!わたしはプレゼンテーションを担当させていただきました。チームプレーでの新しいチャレンジ、本当に最高の経験でした。
自分が生きる意味とは何なのか。
そして観点の障壁を越えたチームプレーとは何なのか。
研修が終わって振り返ってみたとき、三ヶ月前に知りたくて仕方なかったことがすべて、明確に分かっていました。
その背景には、最高の師と未来を共に創りたい四十数名の仲間との毎日、そして、研修に参加するまで支えてきてくれた仲間たちの存在があります。
「三ヶ月で人間はこんなにも変化出来るのか」と、毎日度肝抜いてくれる仲間たち、そしてそれを可能にする未来教育との出会い。
まるで夢をみているようだなぁと思いながら、今ここわたしは、夢そのものを生きているのだと気付いて、思わずにっこり^^
おもしろきこともなき世をおもしろく。
おもしろきこともなき未来をおもしろく。
これからはさらにギアを変えて、新しいステージへと邁進していきます。より多くの人と出会い、ビジョンを共有し、本当のコミュニケーション、本当の疎通をしたい、夢を共に描きたい。そんな人で溢れる日本、世界を創りに。
オンライン上でも、よりシャープに、そして読んでいてワクワクするような発信をしていこうと思います。これからもどうぞよろしくお願いします♪
修了式
45日間。116人の仲間たち。
彼らのためなら、自分は剣にも弓矢にも盾にもなる。
躊躇いもなくそう言い切る自分に出会った時、
この体に日本の団結の魂が宿ったことを確信した。
「我」が消え落ちた先の大自由が、
究極のチームプレーにつながっていたなんて、
夢にも思わなかった。
家族のため、仲間のため、国のため、アジアのため、
そして、世界のため。
自分よりも大きなもののために死ぬことを己の存在価値としていた私たちの祖先。
一度は失ってしまったその精神をもう一度取り戻し、
彼らの生き様と一つになる清々しさは、爽快だった。
渦巻く絶望の反動として、「善」が無数に生まれて来るこの時代に、
「最善」を見極めることが出来るか。
これからを生きる人たちは、その選択を迫られるようになってくる。
その最善と出会えた確信、歓喜、幸せを土台に、
最高の命の使い方を実践し、心の火を燃やし続けるのが、これからの未来。
これまで人類を前進させてきたすべての意志たちと共に。
この45日間、肩を並べて限界を突破してきた仲間たちと共に。
あなたたちと同じ時代を生きれることに、
誇りで胸がいっぱいです。有難う。
ダイヤモンドの心
A Thousand Miles
曲が始まるのは01:32から。
英語うまいなぁと感心します。
さて、すっかり更新が止まっていますが、4日くらい前から韓国に来ています!
普段は自分がスタッフをしている研修。今回は念願叶って受講生!楽しすぎる!
今はこの場にいられることの幸せを満喫中です^^
時間があればちょこちょこ更新できたらいいなぁ。
今ここで描く未来
a thousand miles離れていても
歩みは止めない。
仲間と歩む道は
楽しくてしょうがないです。
花はより香り高く
空はより澄み渡る
深い河の水は
祈りの色をしている
呼吸するように愛したい
清く冷たい
朝露
すべての存在と分かち合う
一滴
食を通して観た、感動社会の営み
フレンチのシェフをやっていた仲間(以下、シェフ)が料理を始めると、わたしは丸いすに座って、彼のそばでじっとその様子を観察します。一体なにができるんだろう…どきどき、わくわくしながら。
あ、ときどき助手としてお手伝いもしますけどね。
グツグツいうお鍋をながめたり、シェフの手元や動きを見るのは、わたしにとっての幸せ。それは子どもの頃の記憶にさかのぼります。
夕飯前の時間に泣き出す小さなわたしを、母はキッチンカウンターに座らせて、そばに居させてくれました。まるで魔法みたいに、鍋の中で次々美味しそうな料理が出来ていく。泣くのもすっかり忘れて、足をプラプラさせながらその様子を眺めるのが大好きでした。
この記憶を差し引いても、わたしにとって美味しい手料理は「平和」や「安心」の象徴です。いつだったか、コンロの真ん前に座って、鍋の中でアヒージョの油がはぜる音に耳をかたむけていたとき。「平和の音だ」と思わず言っていました。
料理は愛。食材と食材の、食材と料理する人の、出来上がった料理と食べる人の、出会い。宇宙のすべてを今ここに紡ぐのが料理。その心は、戦争する心とは対極にあるんじゃないかと思うんです。
シェフの作る料理はいつも感動です。材料は近所のスーパー、調理器具や食器もいたって普通。なのに、本当に美味しい。
本当に美味しい料理は、味覚的に美味しいだけではなく、魂に沁みます。その料理の中に宇宙を感じさせてくれます。今ここの味との出会いから、素材はどこから来たのか、どんな人が作ったのか、その素材が出会ってきた雨粒や太陽の光、そのすべてに、思いを馳せさせる。
今ここ、自分の味覚という感覚を通して、それらすべての出会いを一点に感じられることの感動。その中に愛があります。
宇宙の生まれる前から始まり、宇宙の中のつながりを感じ、今ここ出会い、そして味わう。その出会いを成り立たせるものの愛を認識できたとき、魂が安心を経験して、平和な心が生まれる。誰かと一緒に食べれば、より嬉しい^^
みんながこんなご飯を食べれたら、世界は平和になるんじゃないかなって思います。
ここ数週間、シェフのおかげでたくさんのおいしいものを食べました。そして案の定…太りました。笑
でも今回は、太ることに対する強迫観念に苛まれていた頃のような不安や焦り、後悔や罪悪感は微塵もありません。マンネリやストレスで食べたんじゃなく、感動の出会いを楽しんだ。その結果太っただけだと認識してるからだと思います。
魂が喜ぶことは、人間の無意識や意識まで変えてしまう力を持っています。食を通してわたしの中に生まれた心からの感動は、わたしの無意識深い恐怖も塗り替えていました。
今回は料理を通して感じたことですが、魂を喜ばせるほどの感動を生み出せる人が、様々なジャンルで増えていったら、どんな世界になるだろう…そんな人たちが志を共にし、団結して創る感動社会、尊厳社会を実現してみたい。
今の社会が機械的に続けている営みに代わる、政治、経済、教育、文化、芸術が、魂の感動を基盤として構築された社会とライフスタイルを創りたい。
シェフも、同じ意志を持った仲間です。海まで突き抜ける一本の道のように、天と地がひとつになるところまで意志を貫いていく人。そんな人が作るんですから、料理のお味も次元が違います。たくさんの人に味わってほしいです♪
The Big Rocks of Life
ほんとにほんとに大切なことは少ない。
「本当知るべきこと、考えるべきこと」を数えたら、片手で足りるほどだとわたしは思う。残りはすべて枝葉に過ぎない。素敵なおまけみたいなもの。
でも、贅沢品にこそ人は溺れてしまう。
脳の機能の仕組みを知らず、脳から自由になれていないときに出てくる考えや感情というのは、止めたくても止められなくなり、なにが本当に大切なものなのか、分からなくさせる。結果、スイッチが入ったように自己嫌悪や他人否定が止まらず、自分がなにを考え、感じているのか、自分でも分からなくなる。
しかも私たちは、自分の中の考えや感情だけじゃなく、多くの情報知識にさらされている。その中で、本当に大切なものを見つけ出し、選択し、人生の中心にドンと据えることは本当に難しい。
でも逆に決まってしまえば、その先は簡単なこと。下に紹介している話にもあるように、大きな石を入れてしまえば、小さな石や砂で壺を詰めていくだけだ。楽しむ心で。
ここに紹介する話は人生訓としてアメリカで聞いたもので、ざっくり言えば、人生において何が重要か優先順位を分かること。重要でないことばかりやっていては、本当に大切なものが入る隙間がなくなり、手遅れになってしまうよ、というような内容。
話に出てくる「大きな石(the Big Rocks of Life)」、わたしはこれを、「人間として生まれてきて、知っておかなくてはならないこと」に置き換えたい。
絶対にハズしたくないポイントがある。絶対に妥協したくないものがある。コレがなってないと本番が始まらない。そんなもの。
2016年はその「大きな石」を壺に入れて、小石や砂で固めていく年。
みなさんにとっての「大きな石」って、なんですか?
ある大学で、こんな授業があったという。
「クイズの時間だ。」教授はそう言って大きな壺を取り出し、教壇に置いた。その壺に、彼は一つ一つ石を詰めた。壺が一杯になるまで石を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」
教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツ一杯の砂利を取り出した。そして砂利を壺の中に流し込み、壺を振すりながら、石と石の間を砂利で埋めていく。そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」
学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。それを石と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれで一杯になったのか?」
学生は声を揃えて、「いいや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと水を注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか?」
「それは違う。」と教授は言った。
「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、大きな石を先に入れない限り、それが入る余地は、その後二度と無いという事なんだ。」
君たちの人生にとって”大きな石”とは何だろう、と教授は話し始める。「それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり、自分の夢であったり。」
「ここで言う“大きな石”とは、君たちにとって一番大事なものだ。それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君たちはそれを永遠に失う事になる。もし君たちが小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしたならば、君達の人生は重要でない何かに満たされたものになるだろう。」「そして大きな石、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。」
ある日の非日常
どの季節にも属さない
生暖かい空気
東向きの窓から入る
曇り空の控えめな光
今朝誰かが下げかけて
そのままになったブラインド
黒く塗られた
天井の視線
懐かしい匂いのする
灯油ストーブ
部屋の隅に立っている
空き瓶たち
タバコの吸殻を抱えた
重い緑の灰皿
小ぎれいで物静かな
キッチン
止めるまで回り続ける
うっすら油のついた換気扇
誰かがおもむろに座る
白い丸イス
シンクの前に下がった
小さなフライパン
火を点けられて
慌てて目を覚ますガスコンロ
カラカラと
窓が開いた
思ったよりも
ひんやりした雨のあと
風に揺れる
川沿いの木々に
高速道路の
向こうの山々に
遅めの「おはよう」
急ぐ電車の足音
鳥の声とわたしの鼻歌
くたびれた
うすいピンクのトレーナーを着たわたしに
できたよって
後ろから呼ぶ声
目に見える
耳に聞こえる
鼻に香る
肌に触れる
舌で味わう
すべて
なぜ
心が震えるの
日常の中に潜む
非日常の存在
こんなにもそばにあって
まるで手が届かなかった
かつての記憶
語りかけてくる
隠れていた次元たち
ああ
そうか
意識の裏の裏
遠い昔
遠い未来
たしかに
あなたとわたしは
出会って
今この時も
気が遠くなるほどの速度で
出会いと別れを繰り返し
出会うたびに
歓喜の
別れるたびに
絶望の
涙を
流している
熱いコンロの上に落ちる
雪一粒
その一瞬の
出会いから
雪が息絶える
別れ際
歓喜と絶望の間で
次の出会いを約束する
誓いの叫び
言葉にならないそれを
わたしたちはすでに
知っている
この宇宙すべてを
生み出し続ける
その意志を
人は愛と名付けた