Recreate the Universe, Redefine the World

あたらしいせかいのつくりかた。

HSPということ⑴

最近、発達障害HSP(Highly Sensitive Person)という言葉を目にする機会がおおい。5月にはNHKが生放送で特集もしていた。詳しいことは知らないが、発達障害というトピックで生放送、視聴者とインタラクティブに進行していくなど、チャレンジングな試みだったと思う。

自分のことを【HSP】としてラベリングするのは抵抗があるが、自分をHSPのチェックリストと重ねた時、説明できることが多すぎて受け入れざるをえない。

長い時間を一緒にすごす友人から、「これあなただよ!」と言われて知ったのがHSPだ。最初は半信半疑で、HSPに関する本をぱらぱらとめくりながら「ふーん、こんなのあるんだね」くらいで、完全なる他人ごと。

でも、自分の行動パターンや悩んでいた性格をあらためて意識して生活するうちに、考えが変わった。「自分はあまえた人間なんだ」「自分は人とは違うんだ」と子どもの頃から思ってきた自分の特徴のすべてが、HSPのチェックリストにあった。

 

思いもよらないところに落ちていたピースが、ずっと不恰好だと思っていた絵に、パシッとはまったような感覚。

完成図というゴールはそもそもないが、偏りのない目線で絵と向き合い、全体像が見えるようになった気がしている。

 

思わずつぶやいてしまいそうだ。

「はじめまして、わたし。」

 

子どもの頃から、妙な「生きにくさ」は多くあった。
自分の中の整理も兼ねて、いくつか事例を挙げてみようと思う。

 

◎空腹や眠気、疲れ=コントロール不能 \(^o^)/

空腹や眠気には極端に反応し、文字通り「どうしようもなく耐えられない」感覚に襲われる。理性も吹っ飛ぶので、コントロールが不可能だ。とにかく機嫌が悪くなり、口をきかなくなる、ぐずる、悲観的になるなどしてしまう。

子どもの頃からそんな調子だったので、当然親には辟易された。「自分はわがままで甘ったれなんだ」という刷り込みは、なにも自分が四人兄弟の末っ子として育ったからというだけではないらしい。

口をきかなくなるなどの反応は大人になった今でも変わらないが、HSPのことを知って以来、予兆があればすぐに足を止めて、何かを食べるようにしている。そういうときは、電車の中だろうと道を歩きながらだろうと、まわりの目はあまり気にしない。

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◎人と話す=基本パニック\(^o^)/

人と会うことが極端に苦手で、話すときに軽いパニックになることは日常茶飯事(ただ、相手には見せないように振る舞う)。気軽に人に「おはよう」と声がかけられるようになったのは20歳を越えてからだった。

相手がなにを言おうとしているのか?この会話の意味はなんなのか?とにかく細かい背景が気になって仕方がなく、なんの意味もない雑談はわたしにとって難解なコミュニケーションでしかない。とにかく、つかれる。その一語につきる。

最近は、なんともない会話こそが関係性の潤滑油なんだと理解して、実行してみている。慣れてきて比較的楽に「どうでもいい話」ができるようになってくると、小さなことで笑うのも案外楽しいものだと思えるようになった。

最近は無駄口もふえて、自分の言ったことでまわりの人が笑顔になるのは、純粋にうれしい。

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◎ぼやけていく音の境界線\(^o^)/

人が多い場所では、声や音が混じってすべて同時に聞こえてしまい、話し相手の声が聴こえなくなるという現象が起こる(NHKの特集は、当事者の証言をもとにその世界を再現しており、それがまたとても共感できるものだった)。

なので、大人数のグループだと話についていけなくなる。なぜみんなが笑っているのかが分からないので、集団の中では孤独を感じることが多かった。

近頃は大人数のセミナーなどに参加することもよくあるが、頑張って輪に入ろうとせず、ひとりでゆっくり休むなどの工夫ができるようになった。ワイワイ一緒に話しているから仲間、付き合いが悪いと人が離れる、なんて表面的な関係性は一切なく、思い・意志・ビジョンでつながる仲間に囲まれ、安心してひとりになることも、輪に入ることも選べるようになった。

◎いつも一所懸命\(^o^)/

わたしからすれば境界線が曖昧になって「背景音とブレンドしてしまった声」も、一般的な感覚からすれば普通のボリューム。相手にわざわざ「大きな声で話して」とは言えずに一所懸命に話を聞く。涼しい顔をしている(つもりだ)が、心の眉間にはがっつりシワがよっている。笑

聞くだけでなく話すときでさえ、自動的に自分の声を大きくするので、会話をするだけで疲弊してしまう。

長いこと、自分は耳が悪いんだろうと思って生きてきた。でもここ数ヶ月ほどでわかったのは、実は逆で、どうやら聴覚が敏感すぎることが原因だということだった。

街の騒音、LINE通話(背景音が急に大きく聴こえたりするため)などは、うるさいというレベルではなく、神経がまいってしまうくらいにつらい。音に関しては、東京に住みながら、しかもオフィスが渋谷という環境なので、1日の設計図、体調管理、人に会うタイミングや空いた時間をどんな場所で過ごすのかなど、まだまだ工夫の余地あり。

なにはともあれ、原因が分かれば対処ができるので、かなり楽になったことは確かだし、工夫はいつだってたのしい。

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事例の中にはちょっとした変わりダネもある。自分でも説明ができなかったのは、時間、空間、存在のとらえ方で、これはとにかく言語化がむずかしい領域だ。

現実がゲームの画面のようにみえて、そこに自分が参加しているという当事者意識がうすい。そのためか現実を創ることに関しては積極性があまりなく、お金や仕事など粒子的なものに対する執着があまりもてない。

時間というつかみどころのない概念はどう理解したらいいんだろう。空間ってなんなんだろう。みんな存在をみて不思議に思わないんだろうか?ここにあるように見えて、手をのばしたらさわれるけれど、これは一体なんなんだろう?と。

どうやら、思わない人が大半らしい。笑
なので、考えなくなった。

この点に関しては、そういった森羅万象を科学的にも哲学的にも整理しちゃう教育コンテンツに3年ほど前に出会うことができた。出会ってなければ死んでいたかもしれない。笑

現在は教育革命による、教育、経済、政治、文化芸術の全方位から世界のパラダイムシフトを起こすべく、その会社の共同経営者として海外展開プロジェクトに参画している。

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他にも、短期間に複数のことをこなそうとするとパニックになる、仕事はミリ単位でこだわり、力を入れなくていいところでもプロ並みの仕上がりにこだわるなど、事例はさまざまある。

だが、こういった自分の特徴を裏付けするものがHSPだろうが知覚過敏だろうが発達障害だろうが、名前はなんでもいい。

自分を通して問題だと思うのは、脳の動きが平均的なそれとはすこし違い、外界の刺激に敏感に反応してしまう特性ゆえに、社会から、まわりから、自分から押されたstigma(烙印)だ。

おそらくこれが、一番苦しい。そして周囲からの理解を必要とするところだ。

 

かなり長くなってきたので、このstigmaに関してはまた次回に。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。

 

ちなみに写真は適当に、今まで撮ってきたもの。