宇宙の外の憎めないヤツ
涙が頬をつたわないように
地面と平行に
真下に顔を向ける
外は久しぶりの雨
空から降ってくる雫
宇宙はどこまでも
重力と一緒にいる
アスファルトの上の雨と
テーブルの上の涙は
なにか違うのか
誰が
空の上で泣いてるの
見上げるテーブルも
そんなことを思っているのか
(以下、写真はすべてWIRED.JPより)
教科書だけを読んで「残響時間が何秒がいい」などと言っているうちは、自分にイメージがないんですよね。でも、ものごとは残響時間だけでは終わらないですからね。
顔を地面と平行に
下に向けてると
自分の窓から見える世界が
ぼやけてくる
「見える」とはなにか
考えてみたけど
どうしてここまで
見たくて、聞きたくて
触れたかったのか
思い出そうとしても
もう記憶がない
音響という仕事を評価するには、テクニカルな側面もあれば感性の側面もあります。さらに、ホールに誰もいない状態で手を叩いて音を聞いてみても、それでは意味がないんです。
何度も何度もパースを引いて
丁寧に、懇切に、心こめて
どれだけ試したかったんだろう
どれだけ走ってみたかったんだろう
思い出したい
ぼくの原点とでもいうべきものは、ぼくが大学の頃、1973年に上野文化会館で聴いた、ドレスデンのオペラハウスのオーケストラ(シュターツカペレ・ドレスデン)。そのときのバランスが、いまだにショックでね。ワーグナーの「(ニュルンベルクの)マイスタージンガー」、ベートーヴェンの「(交響曲第)8番」、そして、ブラームスの「(交響曲第)1番」…。
心と宇宙の原点
思い出さないと
どこにも行けそうにない
そんな思考に肩がこるけど
どれだけ苦しくなっても
憎めないヤツが
宇宙の外にいる