Recreate the Universe, Redefine the World

マインドフルネスのその先へ。日本から始まる、あたらしいせかいのつくりかた。

シン・ゴジラにみる新日本

エヴァンゲリオンの監督としても知られる
庵野秀明さんが脚本と総監督を務める
映画「シン・ゴジラ

 
先日観て
ようやくここにまとめられて
ちょっと落ち着く

そのくらい自分の中で
盛り上がった映画
 
 
感じたことは
 
終わりの見えない
「戦後」という時間の区分にも
終止符が打たれる時がくる
 
ということ

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1954年3月
米国によるビキニ環礁での水爆実験で
日本の漁船、第五福竜丸は被曝する
 
同年11月「ゴジラ」公開

12年間に及ぶ核実験(1946~1958)
そこから着想を得た「ゴジラ」は
水爆実験によって生まれた
正体不明の巨大生物と
人間の対峙を描いている
 
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「現実(日本) vs. 虚構(ゴジラ)」

怪獣映画として観ていては
まったく答えられない疑問
 
 「ゴジラとは何か?」
「日本人は何と戦っているのか?」
 
 

その疑問には
観点の数だけ答えがあると思うけれど
わたしの中で整理がついたのは
 
映画の随所に見え隠れする
世界大戦とその後の世界構造
そして、涙
 
 
 
鬱、自殺、殺人
戦争、核、民族紛争
 
私たちが問題だと思っているものが
誰かが作為的に仕掛けたものだとして
 
あらゆる問題の裏側に立つ
その誰かというのが権力層だとして
 
人類歴史において
下部構造に置かれてきた人間たちが
流してきた血と涙の量は
きっとこの地球を覆う水よりも多い
  
 
 
そして当然、舞台裏を知ったときの
彼らの戸惑いと怒りは
とてつもなく大きいはずで
 
本当はゴジラよりも大きいはずで
 
 
怒れる神、呉爾羅ゴジラ
 
そう、わたしには
全身から放射線を発して
すべてを焼き尽くすゴジラ
 
日本にしか見えなかった
 
 
国土に原爆を二度も落とされて
正気でいられる人間がいるだろうか
 
核という人類の涙を
一身に背負いながら
冷静に、物静かにして
熱くなることをどこか敬遠し
コツコツと働き続ける日本人

そのひとりひとりの中に
表面からは想像もつかないほどの感情が
押さえつけられたまま
眠っていたとしたら?
 
 
この仮定が事実だったときの
現実の日本との違い
 
=恐ろしい量のエネルギー

ストーリーが進むにつれて思う
本当の日本の姿を
日本人も世界も
まだ知らないだけなんじゃないか
 
 
 
主人公のセリフにもあった
ゴジラとの共存」
文字通り受け取るなら
それは核との共存とも言える
 
でもゴジラ
日本の怒りとしてみたとき
 
何とか凍結させようとする
戦後、認識すらされてこなかった
自らの怒りと
 
これからどう向き合って行くのか
どう共存していくのか
どう昇華していくのか
 
それが問われているように思った
 
 
 
劇中に描かれる
米国との関係を見て
改めて思う
 
今の日本に必要なことは
他国から強要された歴史認識
一観点として一旦置いて

世界にとって有益な未来のために
自ら過去を再定義しなおすこと
 
 
 
世界を見渡す前に
対峙すべきものは
この国の中にある
 
この国の歴史の中
私たちの歴史認識の中
 
課題も希望も
自らの中にある
 
 
観ていてどこか
苦しくなることはあったけど
これは絶望の映画ではない
 

映画の前半と後半に
くっきり引かれる境界線

 
今までの日本と
これからの日本
 
これでもかと見せつける
風刺の後の
勇姿
 
絶望の後の
希望
 
チームプレー
ソフトパワーによって
クリアされていく課題
 
 
 
ラストシーンは
鎮魂と平和への祈り
 
破れて目覚めることが許された日本
武力で白黒つける西洋式ではない
この国の戦い方をしよう
 
チームプレーと情とオタクと
古くさくて泥臭い日本式の勝負

その良さはそのままに
もっと賢く、もっとシャープに
磨いていける
 
 
 
思ったんだ
この国はもっと活きる
 
こんな映画がつくられ
多くの人に受け入れられるなら
日本は終わらない
 
戦後以降の新日本

日本の未来をみたい
未来の日本を創りたい
 
 
 
私はやっぱり
この国が好きだ