山口に行くなら訪れたい!東光寺ルポ
JAPAN MISSION PROJECTのイベントのため、故郷福岡へ。イベント自体は600名近くの人が全国から集まり、熱い場となりました!
九州に帰る際に「ここはどうしても行っておきたい!」ということで、イベント後に一泊二日、レンタカーを借りて山口の萩に行ってきました🎵
広い広い田舎道、人はまばらにしかおらず、真っ青な空に見下ろされた劇的な晴れ、青く輝く海、耳を離れないセミの声、目が痛いくらいの緑。
…という空間的な演出だけではない、なんとも言えない萩の雰囲気。戦国時代、江戸時代、明治維新、そして現在が重畳するような空気が、街のあちこちに漂っていました。
その「なんとも言えない空気」が私の中で「これか!」という確信に変わったのが、完全ノーマークだった東光寺の正門に立ったときでした。
正門に立った瞬間、旅の仲間4人で口を揃えて。
「これ、やばい」
正門から続くゆるい傾斜を覆う階段。奥の方からなんか、来る。見た目は朽ちた寺なのに、なにか語りかけてくるような…。
最初は結構テンション高めで「やばいやば〜い」なんてはしゃいでたんですが、中に入って行けば行くほど、静かになるというか、畏れ感が出てくる4人。
本堂や庭の渋さ、朽ちた美しさを堪能した後、本丸は一番奥にありました…「畏れ」が最高潮に達した場所、廟所。
生い茂る緑、被さってくるような高い木々、苔生した石。500基をこえる石灯籠は圧巻でした。蝉の声がかき消えるような、静寂の振動。
悔しさ、恨み、苦しみが凝縮されて滲み出ているような墓所。
口から出てくる言葉が、「やばい」から「こわい」へ。
その怖さは写真からでは100分の1も伝わりません。
これは、毛利の怨念か。
ガクブル。
ということで、軽く調べてみましたが、やはり念で溢れてそうです、毛利氏の萩での歴史。
毛利家内での意思決定が統一できず、関ヶ原で敗退し、領土を五分の一までに縮小され(長門・周防の二カ国)、大大名から一転、外様大名と成り下がった毛利氏。領地はその後も飢饉などに見舞われ、借金返済の苦しい歴史だったようです。
何事にも背景があるもの。
幕府に対する念。改革の精神。
負けて目覚めた萩の地の歴史の中に、明治の精神が見えるようでした。
今の日本を語るには、少なくとも関ヶ原のあたりまでは遡る必要がある!今後はその観点で日本と出会っていこうと思っています。そう考えると、東光寺は本当に多くのことを教えてくれたなぁ。「圧巻ですよ!」とおすすめして下さったゲストハウスのオーナーさんに感謝です。
山口県自体はそんなに推している様子のない東光寺ですが、足を運んでみる価値ありです!8月にはこの500基の石灯籠に火を灯す、万灯会(まんとうえ)という行事があるとか。死ぬ前に一度は見てみたいリストにメモメモ…!
とにかく、こんな面白い地を題材にしない手はないっ!!!うちでやっている教育観光ツアーの萩バージョンもぜひ創ろう!なんて話で盛り上がりっぱなしの萩旅でした🎵