Recreate the Universe, Redefine the World

マインドフルネスのその先へ。日本から始まる、あたらしいせかいのつくりかた。

モネった日に思う、美しい日常の創り方

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今朝、光と風の中に春のにおいを感じたわたしと、今ここが神秘神聖で涙が出そうだったという友人。LINEのやり取りの中で、「モネろう!!!」と急に思い立ち、福岡市美術館で開催されているモネ展へ。上の写真は、数年前にNYのMoMAで撮った一枚。モネの「睡蓮」です。



美術館のある大濠公園まで行ってみたものの、人が…多っ!!!平日の昼下がりをなめてました。日本人の芸術に対する意識の高さをなめてました(アメリカでは日本ほど中高年の方が美術館に行くことはないです)。

ちょっと散歩して戻ってこようと、急遽予定変更。池のまわりを歩き、カフェの外の席で池を眺めながら、コーヒーとカレーパンとドーナツを片手におしゃべり。建物で風も遮られ、ポカポカ陽気が最高でした。

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そこで見た、水面できらきら踊る光。あ、今ここすでに、モネ。席から見える人間模様と光の芸術、なんともない会話に、もうおなかいっぱい。モネ展は行かずに大濠公園を去りました。←

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自然の中に本質を追い求め、変化し続ける光を描いたモネ。Objects(物質)ではなく、その場所に、光に、色に、出会いたい。その思いだけを持って、筆を止めなかった人。光を描くことを通して、真実の姿を探し続けたアーティストだと思います。

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モネの庭

"I am following Nature without being able to grasp her, I perhaps owe having become a painter to flowers."
私は自然を追い求めているが、その本質は未だに掴めていない。こうして画家になれたのも、草花たちのおかげなのかもしれない。

「無い」ところから、すべてが「有る」ようになっている。無の世界が原因であり、わたしたちの目に見える有の世界は結果に過ぎない。そこに真理は存在しません。

モネは世界を境界線に固定された「物質」ではなく、もっと柔らかい「光」で見ていましたが、その光すらも真理によって生み出された結果です。描いても描いても出会えない。彼の描く作品から溢れ出てくる、真実への恋慕と、決して出会うことのできない葛藤。それこそがモネの魅力だと思います。

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アルジャントイユの野原

"I wish I had been born blind and then could suddenly see."
盲目で生まれたかった。そしてある日突然目が見えるようになりたかった。

今までの人生を盲目で過ごしてきたと想像してみてください。ある日急に目が見えるようになったとしたら、その驚きと喜びはどれほどのものでしょうか。

実際のところ、わたしたちはみな、真理を観ることにおいては盲目です。存在しているものがそもそもは無いところから生まれてきている。そのことを理解し、無から有が生まれる仕組みですべてを認識できたとき。心の目が開き、その目から観る世界は歓喜と神秘に溢れる。

知的好奇心が自分の中から湧き上がって、「当たり前の日常」や「変化のない毎日」、「なんとなく生きる生き方」などなくなるのではないでしょうか。


すべてが新しく、すべてが美しい。無から有が生まれる仕組みさえ分かれば、ほんの一握りの探求者だけでなく、人間として生まれたすべての人が、この世界に恋するアーティストになれるはず。

無から有が生まれる仕組みを論理とイメージで体系化し、再現可能、共有可能にした教育、観術。恐ろしく奥深い学問体系ですが、その価値はごく単純で、今ここすべてを愛し、楽しめる人間を創ること。そして、そんな人のライフスタイルを提供することなんだなと、このエントリーを書きながら思いました。

最後に、モネのチャーミングな言葉をどうぞ♪

"People discuss my art and pretend to understand as if it were necessary to understand, when it is simply necessary to love."
人は私の作品について議論し、まるで理解する必要があるかのように理解したふりをする。私の作品はただ愛するだけでよいのに。

世界という自分の作品は、意味価値を探すんじゃなく、ただ愛するだけでいい。