死の裏側にあるもの
突然ですが、昨日、死刑宣告を受けに行くという夢を見ました。
絞首刑になる予定だったらしく、死刑台の足元がなくなる瞬間どうなるんだろう?
絞首刑になる予定だったらしく、死刑台の足元がなくなる瞬間どうなるんだろう?
って考えると、めっちゃ怖かったです。
体の苦しみ、痛みの恐怖。
でもその後に、強烈に湧き上がってくるものがありました。
「まだやり残したことがある!!!」っていう、滝のような悔しさ。
わたしが仲間とやろうとしていることは、今の世界に絶対必要なものなんだ。
だから死ねない、死ねない、死ねない。
だから死ねない、死ねない、死ねない。
自分たちがやろうとしていることは何なのか、なぜ必要なのか、
必死で整理して、訴える自分がいました。
そこには、体は借りものに過ぎず、
その借りものを使ってなにかを為そうとする意志だけがありました。
小さな頃から、生きる意味ってなに?という疑問が頭を離れませんでした。
生きることの意味・価値が分からず、無気力になり、虚無になって死にたくなる。
不思議です。
そんなわたしが、死ななければならない夢を通して、
生きているということの途方もないほどの意志と可能性を感じたこと。
生きることの意味。
禅の十牛図で言えば、牛のしっぽをつかんだような感覚です。
これかなって思うものはありますが、自分の中でもう少し深めてみます。
ここにバシッと書ける日を思いながら。
それでは、素敵な1日を♪
Photo taken in Ueno, Tokyo